かこをおもいだしてはおとがきこえる

随分と小さい頃のお話、その音楽を聴くと思い出す、靄のかかった記憶と油の匂い
やっと靴を自分ではけるようになったり、大人の顔色を伺えるようになったりした頃、父はレストランの厨房に居ました、朝の4時から火をつけて、朝定食とやらを作る準備をしている父の背中は、なんだか少し寂しげで、保育園に行くのをやめて側に居たいなと思わせる、そういう背中でした、早起きが小さい頃から苦手だったのですが、朝、厨房に立つ父を見たくて、むしろ側に居てあげたくて、手のひらサイズの心がチクンと痛み、わたしを厨房へと歩かせました、悲しい笑顔だなと思ったのを今でもはっきり覚えています、父の「おはよう」という言葉は悲しい笑顔と共に向けられて、また手のひらサイズの心をチクンとさせました
毎朝、その厨房には控えめに音楽が流れていて、父はラジカセと同じ控えめな鼻歌を聴かせてくれました、そしてキレイな目玉焼きを作って見せてくれました、小学校低学年までその姿を見ていました、あんまりにも寂しげな背中だったものですから、1年生の時はしょっちゅう学校に行きたくないと泣きました、そうすると父はほんの少しうっとおしそうに、ほんの少し嬉しそうな顔をして、手をつないでバス停まで送ってくれました
そういう朝の時間を思い出す、つやつやした油の匂いと朝靄の匂い、それとビートルズの音楽、ハミングする父の声、大切な記憶がまたいっそう濃い靄に覆われて、忘れていくのかなあ、わたしの音好きはここから始まったのではないかと思います

ちなみにの話、子守唄は八代亜紀の「舟歌」でした、しぶすぎた!